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ホピの予言のもう一つの『石板』は沖縄にあった!?

衝撃的な事実です!!
なんと、『ホピの予言』出て来る「白き兄弟」が持つという『石板』の片割れが、沖縄の海底にあったそうですよ~(=><=)

以下、http://heitate.blog37.fc2.com/blog-entry-171.html 様から拝借。
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119.gif

前出のホピ族の酋長が石板をみて、「いつか日の昇る国から、もう1つのペアになった石板をもった白い人が来る。それが自分達の兄にあたると言う言伝えがあり、自分達も石板を持っている。ずっと探しつづけていた。 」といったそうです。

彼等は、霊感でここが世界の中心だったところと感じていたそうで、 「この先、人類を救うのはOKINAWAの人たちではなかろうか。
と言い残して帰途についたそうです。

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以上、転載はここまで。

そして、続けてもう一つ、ホピに関する不思議なお話しもご紹介させて頂きたいと思いますm(_ _)m

以下、http://ameblo.jp/ginka999/entry-10860102588.html 様より拝借。
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「預言石板の謎と日本ムー文明」の要約

1.失われたムー大陸は超大陸パンゲアだった

ムー大陸(超大陸パンゲア)は地球上に最初に人類が誕生した母なる大地であり、現代文明を凌駕するほど高度な社会が築かれ地上の楽園であった。
祭司にして支配者である太陽王「ラ・ムー」が平和の名のもとに統治していたムー帝国は、人口6400万人を擁し、巨大な石造建造物をはじめ、都「ヒラニプラ」は金や銀、象牙、不思議な金属であふれていた。
その影響力は海を越えて古代エジプトやアメリカ大陸、そしてインドにまで及んだ。
しかし今から約1万2000年前、突如襲った天変地異によって超古代文明は崩壊し、ムー大陸は一夜にして大地震と大津波によって海の底へと姿を消した。
残ったのは高い山頂のみで、それがポリネシアの島々になった。
かつての栄光はイースター島のモアイ像やポンペイ島のナンマドール遺跡にその記憶を残すだけとなった。
ムー大陸とは太平洋上に存在した大陸のことであるが、この太平洋を現代人が見ている太平洋だとすればムー大陸は存在しない。
太平洋の海底を分析すると大陸を構成する地殻が存在しないのである。
それゆえ地球科学者がムー大陸の存在を認めることは無い。
地球上に唯一存在した大陸があった。
それが超大陸パンゲアである。
かつて太平洋上に存在し、失われた大陸をムーと呼ぶならば、それは超大陸パンゲアに他ならない。
原始地球において超大陸パンゲアは一度完全に水没している。
地球規模の大洪水が起こったからである。
これを如実に伝えるのが「旧約聖書」に記された「ノアの大洪水」である。
創世記の伝承はムー帝国に遡るものであり、ノアの大洪水はムー大陸の沈没を伝えたものである。
月は内部に大量の水を抱えた氷天体だった。
今から4500年前、突如地球に接近した月は潮汐作用により地殻が破壊され、内部の水がスプラッシュし、宇宙空間で急速に冷却された熱水が地球上へと降り注ぎ超大陸パンゲアを水没させてしまった。
同時に天体の異常接近によって地球内部のマントルが相転移を起こし、急膨張を開始したのである。
世界中の大陸や島々がすべてムー大陸の一部だったのである。
アジアの文明の源泉は太平洋に沈んだムー大陸にあり、日本はその超古代文明の継承者であったのである。
天皇は天照大神の子孫であり、祭司にして王の現人神である。
それは太陽王ラ・ムーそのままである。
永遠なる楽園の都ヒラニプラは平安京に該当するといえる。

2.邪馬台国の真実の所在地

邪馬台国論争とは邪馬台国がどこにあったのかという論争であり九州説と機内説が対立している。
どちらも「魏志倭人伝」の記述ミスがあることを前提に解釈しているにすぎなかった。
真実は現在のような日本列島ではなかったことに原因があったのである。
李氏朝鮮で作成された地図に「混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)」と呼ばれる一枚の地図がある。
これは「行基図」を写したと言われているが、日本列島が南北逆さまに描かれているのである。
「行基図」は奈良時代の僧・行基が描いたとされる地図で北海道を除く日本列島が細長く南北逆転して描かれている。
邪馬台国の時代、中国人の頭の中に逆転日本列島という地理観があったとすれば「魏志倭人伝」に反映されてもおかしくない。
「魏志倭人伝」の記述が現実の地理と整合性がないというなら日本列島の方が動いたということになる。
事実、古地磁気を分析した結果、東日本列島は青森県を中心にして反時計回りに回転し、西日本列島は九州北部を中心として時計回りに回転したことが判明している。
北海道は東北アジアから時計回りに分離し、東日本列島と同じく一気にフィリピン沖まで南下し、そこから反時計回りに大きく回転していたことが読み取られている。
邪馬台国時代の日本列島は南北逆転していたことは事実である。
それゆえ「魏志倭人伝」の記述どおり進むと三輪山の麓に広がる纏向遺跡こそ邪馬台国の中心地だったことが判明したのである。
*邪馬台国論争の元凶は「魏志倭人伝」の記述と現実の地理が一致しないことにあった。
過去の日本列島が現在の日本列島よりも約90度時計回りに回転した状態にあったことに気づけば邪馬台国の所在地は畿内説が正しいことがわかるのである。

3.日本列島の形成 

4500年前、地球はノアの大洪水に見舞われた。
超大陸パンゲアが水没し、地球の急激な膨張と共に分裂し、地殻変動によってプレートが高速で移動を開始した。
それに伴い日本列島も形成されていく。
二つの日本列島が太平洋上にあった時代、アメリカ大陸を故郷とするポリネシア人たちが上陸した。
東日本列島にはインカ系のインディオが中心となりイヌイット(エスキモー)を吸収すると共に縄文文化を形成し、狗奴国(くなこく)連合を形成した。
西日本列島にはマヤ系のインディアンたちが中心となって弥生文化を形成していった。
彼らは中国の稲作を導入することによって邪馬台国連合を形成した。
しかし卑弥呼が邪馬台国の女王として担ぎ出される直前、日本列島に大事件が起き、東西の日本列島が回転しながら衝突したのである。
フォッサマグナは東日本列島と西日本列島が衝突して出来た構造線である。
皮肉なことに最終的に東西の日本列島を手中に収めたのは狗奴国でも邪馬台国でもない第三の勢力が瞬く間に日本列島を征服していった。
日本列島が急激に移動を開始したことは地球規模で地殻変動が起こったことを意味している。
この状況を勝機とにらんだ夫余系騎馬民族は朝鮮半島南部から九州へ上陸し、そこから畿内へと侵攻してきたのである。
瞬く間に邪馬台国を征服し、王家は邪馬台国の王族に入り婿する形で王権を継承し、大和朝廷を開くことになる。
日本列島を征服した騎馬民族は夫余系である。
夫余族は高句麗や百済の王家と連なる民族でモンゴロイドである。
中でも重要なことは古代イスラエルの血統であったことである。
失われたイスラエル支族の本隊は北極圏を目指したがガド族に率いられた一軍は朝鮮半島から日本列島へと侵入してきたのである。
古代天皇がイスラエルの血を引いているという事実はアメリカ大陸からやってきたインディアンやインディオたち(縄文人と弥生人)との関係でも重要になってくる。
熊襲や隼人の琉球民族は西日本列島の先住民であり弥生文化を担ってきた。
東日本列島のアイヌもアメリカ大陸からやってきた。
アイヌと琉球民族はインカ文明やマヤ文明を築いたインディオたちと同じ血を分け合っている。
ホピの一族が分かれて北米から中米へと至った一派があり、中米で巨大な都市を築いたのがマヤやアステカであり、南下を続けて南米に至ったのがインカ文明を築いたインディオたちである。
つまりホピ族こそインディアンやインディオたちの本家なのである。

4.沖縄ロゼッタストーンの謎 

ホピ族は神々の言葉に従って生きている。
アイヌや琉球民族にとっても本家といえるホピ族の伝統に沖縄ロゼッタストーンを解読する手がかりがある。
絶対神が預言石板を引き裂き、それをホピ族の支族である「白い兄弟パハナ」に与えた。
パハナたちは預言石板の一部を携えて東の海へと船出し、そのままいずこへと姿を消した。
預言によればホピ族が迫害され、世の終わりが近づいた時、失われた白い兄弟パハナが現れる。
パハナは欠けた預言石板の一部を携えてくる。
ホピ族にとってポリネシア人やアイヌや琉球民族もパハナの末裔である。
沖縄ロゼッタストーンは古代マヤ文明の流れを汲むものである。
沖縄ロゼッタストーンの「N形文字」が古代ヘブライ文字のヨッドであり、それ一字で絶対神ヤハウェを表している。
同時にそれがイエス・キリストの象徴でもあるとすれば琉球民族が最高神として崇めた神はマサウやククルカーン、ケツァルコアトルといった白神も同一神である。
沖縄ロゼッタストーンはイエス・キリストの預言石板である。
絶対三神の象徴「」が沖縄ロゼッタストーンに刻み込まれている。
これは古代琉球人がカッバーラを知っていたことの証である。

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以上、転載はここまで。

いやぁ~何とも荒唐無稽なお話しですが、あながち嘘とも言い切れないような、実に説得力のある内容ですよね~(OO;)

それに、沖縄に伝わる神話は、記紀に書かれている神話の元になったという解釈をされている方も多数おられますし、

参考:『琉球から日本人への手紙
琉球は日本の元地であり、人間としての正しい道を教える心があります。
http://blog.ryucom.ne.jp/sinkai/ 様より

参考:『ニライカナイ
上記のように、ニライカナイは複合的な観念を持った楽土であるが、この概念は本土の常世国の信仰と酷似しており、柳田國男は、ニライカナイを日本神話の根の国と同一のものとしている(wikiより)

以上のような観点から考察してみましても、やはり、

沖縄→本土

といった図式が成り立つと思われます…!
…が、実はその一方で、下記のような情報もあったりしますので、一概に、「琉球神話=記紀」であると断言できないのが悲しいところ…(vv;)

以下、http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00000yogentenkai24.htm 様より拝借。
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2. 沖縄におけるユダヤ教とキリスト教の伝承:

  沖縄における興味深い数々の言い伝え、風習には、古代ユダヤ人の宗教(旧約聖書)とキリスト教の教え(新約聖書)と全く共通するものが多い。それは、日本においては”古神道”(祭壇はあっても”偶像”が存在しない神道の原初形態)が仏教・儒教の影響をかなり受けて変遷してしまったのに対し、沖縄ではそれらが入ったのは歴史的に遅く、仏教はそれほど浸透しなかった。尚真王時代(1477最盛期)に人々に先祖崇拝のための位牌(トートーメ)を作らせたが、それを役人が検分して回ったとき互いに貸して役人の目をごまかしたという。そのため、古神道がそれほど影響を受けずに原初形態のまま民衆の間に根強く残っているのである。
  現在も、神社・仏閣は非常に少なく、沖縄には”檀家制度”が無く、人々もめったに寺へは行かない。そのかわり、”御嶽(うたき)”と呼ばれる天然のシンプルな礼拝所が各所に存在する。死者の墓は寺にはなく、同族単位で大きな墓(亀甲墓)を持っている。戦後は規模を下げて家族単位の墓を所有する人が増えた。


  以下、ユダヤ教、キリスト教との関連を列挙する。

  (1) 旧約関係:

  ・ アダムとエバの名: 古宇利島には”アダ(安田)”、”イブ(伊部)”という地名があり、本島の恩納村にも”いんぶビーチ”があり、年配の人は”いんぶ”を”イブ”と発音する。沖縄では、”人は死んで土に還る”(=創3:19)という言葉がある。亡くなった人が土(アダム=”土”の意)に還るとき、(「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と同様に)”アダマーの神よ”と呼びかけ、天の国の親加那志(ウヤガナシ=宇宙の創造者なる絶対神、加那志(ガナシ)は”~様”の意)がその人の霊を浄めて下さるように祈る。

  ・ 女の創造: ”イキガヤ・ソーキブニーヌ・ティーチタラーン”は那覇地方の人がよく使う言葉で、”男は肋骨が一本足りない”ので、”男は女に夢中になると愚になる”という意味である。(創2:22)

  ・ 堕罪: 琉球地方には蛇と女にまつわる話が多く、それらは決まって”蛇が女を惑わした”物語である。(創3:1-)
   また、古宇利島には、「エデンの園」、「堕罪」の物語と「荒野で降ったマナが止んだ」(ヨシュ5:12)話が合体した伝説がある。”昔、男の子と女の子がいて、素裸で園を遊びまわっていた。空腹になると天から餅が降ってきた。しかしある時、餅を蓄えようとすると、天から餅が降らなくなって、二人は苦労して働かなければならなくなった。そうこうしているうちに、二人は裸であることが急に恥ずかしくなり、木の葉をつずり合わせて腰に巻いた。”

  ・ 洪水: 波照間(はてるま)島の神話では、世界の始めに二人の兄弟がミシクの洞窟に隠れ、油雨の大洪水をやり過ごし生き延びた。

  ・ ロトの妻: 戦後数年まであった沖縄の結婚式の風習として、エスコート役の男性が花嫁に、”後ろを振り返るな”と呼びかける慣わしがあった。

  ・ 過越し: 沖縄全体に、”島クサラシ”、”カンカー(看過)”、”看過牛(かんかうし)”と呼ばれる古来からの風習が伝わっている。これは、屠った牛の血を、植物(ガーガー、ススキ、桑の葉など)に浸して、家の入り口の柱や鴨居に塗るもので、家や町の”厄除け”の風習である。これは、エジプトにいたイスラエル人に、エジプトのパロに対する主のさばきとして、死の天使がその家の長子を殺さないよう、天使への目印として屠った羊の血をヒソプの枝葉に浸して入り口の柱や鴨居に塗ったのとほぼ同じである。”看過”は”見過ごす=災いが過ぎ越していく”の意。(出12:13、14、新約ではイエス様の十字架の血のことを言っている)

  ・ 偶像: 県内のいたるところにある”御嶽(うたき)”とよばれる礼拝所には、お香の壇はあるが”偶像”がない。(古神道も同様に偶像をもたない)

  ・ 豚肉: 沖縄の人はよく豚を食べるが、昔のユタやノロ(神職)は、豚は”汚れた動物”であり”罪人の食べもの”であるという理由で、一年中豚を食べなかった。久高(くだか)島では、民間人も正月の3日間は豚肉を食べない。イスラエル人にとって反芻しない豚は汚れた動物で、食べることを禁じられていたのと全く同じ。(レビ1:17、新約時代は、「反芻」しない人=貪欲で、神様の前に罪を告白して悔い改めない人は受け入れてはならない、の意と考えられる)

  ・ 禊(みそぎ): 沖縄で3月3日(天神祭の日)に行なわれる”浜下り(ハマウイ)”の行事では、特に女性が浜に下って沐浴して身を清め、安泰を祈願する。この禊は蛇の子を宿さないためとされる。イスラエルでは、「第3の月の新月の日に、(太陰暦では)1日と2日の2日間着物を洗って聖別し、3日目(3月3日)に主がシナイ山に降りて来られ、モーセに『十戒』を授けられた。(出29:1-11)

  ・ 血の汚れ: 沖縄では出産や月経を不浄であると考えられ、久高島では”血不浄(チーブジョウ)”といい産屋にこもった。

  ・ 父称: 沖縄の位牌には戒名はなく、ユダヤの慣習と同じく”~の子、~”(たとえば、ダサンの子イザヤ=イザヤ・ベン・ダサン)と書く。


  2) 新約関係:

  ・ 三位一体: 偶像はないが、神の臨在の象徴として”柱”がある。(旧約の荒野を放浪する民を導いた「雲の柱(昼)」、「火の柱(夜)」は神の臨在である事と同じ) 沖縄の神礼拝では、まず”四隅拝み”をし、12の御使いのために”12本香”を使い、次に、”中神(ナカジン)拝み”のために”3本香(3本が1束になった香)”を使う。この”中神”は、”宇宙の真中の神”あるいは”家の中心の神”という意味であり、「三位一体神」であり、”三柱一体の神”、”三天の神(ミティンヌカミ)”ともよばれる。
  この三神のそれぞれの呼び名は、拝みをするユタやノロ(*)によって若干異なるが、
  ①絶対神、②女から生まれた神、③天降りの神、 あるいは、 ①先祖の神、②天降りの神、③地の神霊、などを意味し、
  これはキリスト教における、主なる神の3つの現れ、①父なる神、②天から地上に来られたキリスト、③地上に臨在する聖霊、と解する事ができる。

  ・ 十字架: 人が死ぬと、その遺体の枕元に”ムイバン”という、山盛りのご飯の上に箸を十字に固定、あるいは、一本を横に置き十字形を作る。これは、山盛りご飯を”山”に見立てて、”故人を天国に導いてもらいたい”という気持ちでこのようにする。また、葉で十字形に編んだもの(”サン”という)を垂らして魔よけとする。

  ・ 羊: ユタや年配者は、羊を”神の動物”と言い、干支の羊は祈りの通り門だと言う。(ヨハ10:9)

  ・ 豚と悪霊: 沖縄の田舎ではどこでも”豚と悪霊”に関する風習がある。夜帰宅するとき家に入る前に豚小屋に行き、豚を起こして、ついてきた悪霊を豚に移す。摩文仁地方(本島南端)では、悪疫が流行した時、豚を海に追い落として厄払いをした。(マタ8:28-34)

  ・ 十字架と復活: 沖縄では伝統的な年中行事はすべて旧暦で行なう。(昔の本土でもそのようにしていた)
  旧暦の1月14日は”トゥシヌユルー(年の夜)”(=大晦日)であり、その日にあらかじめ正月用にとっておいた豚を屠り、大掃除をし、”血”を象徴する赤い花をつけた門松を立てる。翌日の1月15日が新年である。古代イスラエルでは「過越し」以来の慣習として、毎年ユダヤ暦の1月14日に正月用の小羊を屠り、また、イエス・キリストが十字架の死を遂げた日も同じ1月14日だった。その夜は、夜通し起きて肉料理を食べるのはユダヤ人の風習でもある。
  また、1月15日は沖縄の”小正月”で餅と苦菜を食べることも、イスラエルで種なしパン(=マツァ)と苦菜を食べることと同様である。イスラエルの正月の祭り(=過越しの祭)は1週間続いたが、沖縄の正月祭りも本来約1週間続く。
  さらに、1月16日は、沖縄で”16日祭(ジュウルクニチー)”は”グソー(=あの世)の正月”とよばれ、重箱入りのご馳走を持って墓参りに行き、宮古島、その他の島では、この日に最も盛大に祝う。那覇の神社の宮司や元ユタの話によると、この日は、沖縄に古くからあった最も重要な祭りであり、1月16日は”死者の甦り”の日であると同時に”初穂の日”でもあったという。1713年の”琉球国由来記”によると、16歳の娘が急死して3日目に墓に行くと甦っていたことから、1月16日のこのような先祖供養が始まった、とある。聖書では、その日は「初穂の祭りの日」、「キリストが初穂として復活した日」である。


  ・ ノロやツカサは血縁などで継承される祝い女で村落の祭祀をつかさどる。一方、ユタは死者儀礼や先祖供養などの家庭内の祭祀を行い、占いもする。ユタは、”性高生(サーダカウ)”といわれる霊的能力を備えた女性が、人生上の不幸に遭遇して”神ダーリ”という幻視幻聴を伴う状態に陥り、神のシラシとして巫女修行を行うことによって克服した後に成巫と認められる。男ユタもいる。

  ・ 沖縄におけるアフリカ・中東系のDNAを持つ人は約5%で、日本人の平均13%よりも低いのは、歴史の途中で近くの中国からの移民(豚肉食、祖先崇拝)が入ったためであるが、それでもこれほどの文化的影響が存続しているのは驚くべきことである。尚の事、日本の古神道が古代イスラエル人からのもの(天皇家)と、ユダ系の秦氏一族の景教(東方キリスト教)からのものの2つにより形成されていたことが強く言えるのである。

  * 06 11月22-24日 ウェルサンピア沖縄(沖縄厚生年金休暇センター)にて第13回聖書と日本フォーラム沖縄大会 「聖書に書かれている記事が日常の生活風習、習慣になっている沖縄」のタイトルで研修会・見学会・シンポジウムが開催された。研修会には手束正昭師・ジム・ピーコック師・久保有政師・知念金徳師、見学会には、世界遺産斎場御獄・久高島 シンポジウム:小石師他も参加された。

  ** 11月3-5日のグラハム大会(フランクリン・グラハム師、参加延べ3万人以上、約2000人が救われた)の場所が北谷に選ばれたのは、昔、北谷の海岸にイギリスの船が難破した時北谷の漁師達が助け、イギリスの人々は島の人々の温さにふれ無事本国へ帰って沖縄の為に祈ったためである。その後ベッテルハイム師がイギリスから遣わされた。去る11月22日の沖縄タイムス朝刊に、ベッテルハイム師の日記と書簡の一部が新しく発見された記事が載った。(沖縄の姉妹の報告より)

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以上、転載はここまで。

このような感じで、この上記の方のご考察にも、やはり一理あると思わずにはいられませんので、結局のところ、

「琉球神話も記紀と同様、古代ユダヤ教や原キリスト教の神話が混在されている」

と言えそうな気がしますんですが、果たして真実はどうなのでしょうかね…(vv;)
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まとめ【ホピの予言のもう一つ】

衝撃的な事実です!!なんと、『ホピの予言』出て来る「白き兄弟」が持つという『石板』の片割れが、沖縄

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というアドレスを掲載した理由は何ですか。
よろしければこのホームページに来てもらえませんか。
お待ちしています。
連絡を待つ。

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リンク先のサイト様を間違えておりました~(汗;)
記事から、貴殿のアドレスのご紹介部分は削除させて頂きましたm(_ _)m
ご迷惑をお掛けしてしまい、誠に申し訳ございませんでしたm(_ _)m

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「ヲシテ文献」「死海文書」「ホピの道」などが、只今のマイブームです。
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